Welcomeぴんくモッチーです。
いつもご覧いただきましてありがとうございます。
10/6(日)の事ですが~
今日は父の命日と同年半年後に亡くなった祖母の50回忌の法要を少し前倒しして
「弔い上げ(とむらいあげ)」49年目を五十回忌の節目として最終年忌として、お寺からお坊さんにお願いして読経のお勤めをしていただきました。

成人になってからは親不孝者で命日に帰れたことがあまりなくて、こんなにも、みんなが一斉に読経をするものなのかと驚きながら
私も、もぐもぐと真似をしながら、足の痺れを気にしながら無事、お焼香も終わり、まもなく、お経も終えて、お寺さまから、有難いお話をいただいて、法要行事は無事終えることが出来ました~。(ほっ!)


みんな~表情がこわ~~~~~い!
もう少し、にこやかに!!!
まぁ~いいか(笑)
そして~



無事終えてほっとしていると、秋祭り賑わいが聞こえてきて、兄も私も飛び出して鉦や太鼓の音の方に向かっていました~
やはり、故郷に戻ってくると、気分はもう子供の頃に戻っていつまでも、隊列の続いている方へと
関東ではお神輿ですが~讃岐地方では「ちょうさ」と呼ぶ、所謂太鼓台を何十人(昔ですが)もの人が担いでクライマックスでは、地元神社に集合して「御下がり」と称して順次披露されるのが讃岐っ子はたまらなく興奮したものでした~
ちょうさの由来
ちょうさのルーツを京都の祇園祭にみる
ちょうさ(太鼓台という山車(だし)は、全国各地に分布しているものかと思っていましたが西日本を中心に多いことが判りました。
特にその中でも、近畿地方では大阪、兵庫(淡路島が多い)
香川、愛媛、徳島、岡山、広島の各県に多く、九州にも少しは点在しています。
もちろんその源流は、京都の祇園祭にあるようです。
しかし、定かでない部分が多いので、そうだと結論づけることは避けたいものです。
原型は、祇園祭に登場する「かき山」のようであり、
安土桃山時代に南蛮貿易で財をなした大阪、堺の豪商が作らせたものが
次第に派手になり、文化、文政の頃、現在のように布団を積み重ねた形に変わってきたようです。
地方によってその形は変形されて作られ、伝承されていった感があります。
私たち兄妹が、何故にちょうさを追いかけるのかというと
昔父が宮大工の棟梁をしていた頃、父が初めて「ちょうさ」を作ったことから、今でも現役で祭事には出番があることに、誇りを持っているのでございます。
残念ながら、父が作ったその、「ちょうさ」はクライマックスの地元一の神社の方に、兄はそちらまで車で追いかけていきましたが、私たち、女性人は後片付けがあるために断念!
秋祭りは父が呼び起させてくれたのかしら?
姉曰く、父の法要の時は、日程変更しても必ず晴天なのが、不思議なのよね~
きっと、父もお祭りが大好きで、法要の日も、お祭りも晴れて欲しいと願っているんだわー(笑)
10年に1度の大型台風26号の被害はありませんでしたでしょうか?
まだ、これから接近の予報が出されている地方のみなさまに於かれましてはどうか、被害に遭遇されませんようにお祈りいたします。
最後まで見てくださってありがとうございました。

みなさまにとって、明日も穏やかな日でありますように

では、ごきげんよう
