
【ふうせんかずら】
フウセンカズラは、フェンスなどに絡みつきながら繁茂するつる性の一年草です。
夏に緑がかった白色の小さな花を咲かせ、その後、紙風船のように
ふくらんだ袋状の果実をつけます。
風に揺れる果実は見た目にも涼しげで、緑のカーテンにも向いています。
果実が茶色く熟すと、黒地に白いハート模様の入った丸いタネがとれますよー。
鴨居玲展
会期:2015年5月30日(土)― 7月20日(月・祝)

展覧会の構成は
<第1章>初期から安井賞受賞まで
鴨居玲は、金沢出身で、美術工芸専門学校(現在の金沢美術工芸大学)に入学し、
洋画家の宮本三郎に師事、在学中二紀展に初入選します。
しかし、その後は油彩に行き詰まり作風を変化させますが、制作は低迷し
南米、パリ、ローマを放浪しながら、試行錯誤を続けました。
帰国後の1967年には、一旦退会した二紀会に一般応募で1969年、《静止した刻》で、新人洋画家
登竜門であった安井賞を受賞し、画家としての道を切り拓いていきます
<第2章>スペイン・パリ時代
1971年、スペインに渡り、「ドン・キホーテ」の舞台となったラ・マンチャ地方の
バルデペーニャスに移り住みます。
この土地の素朴で陽気な人々との交流から、酔っぱらい、廃兵、老人といった
モティーフと巡り合い、代表作が誕生しました。
生来の放浪癖から、最愛の地バルデペーニャスを離れ
トレド、マドリード、パリを転々とします。
焦燥感から情緒不安定に陥って、1977年、帰国するに至りました。
<第3章>帰国後の神戸時代
帰国して神戸にアトリエを持ち、裸婦や恋人たちといった画題に取り組みますが、
新たな展開には結びつかずこれまでの集大成ともいえる群像の大作
《1982年 私》をはじめ、《ミスターXの来た日 1982.2.17》《出を待つ(道化師)》《肖像》
といった晩年の作品は、鏡に自分の姿を映し、人間の心の闇などを
さらけ出した自画像といわれます。
制作に心血を注ぎ精神の葛藤を描き続けた人生は、57歳で幕を閉じました。
<第4章>デッサン
目をつぶってでも同じポーズが描けるようにならなければいけないとの信条から、
鴨居は1枚の絵を描くのに、100枚のデッサンを自らに課したといわれます。
優れた技術に裏打ちされたデッサンの作品は人気が高く、描かれた人物の
姿態や動き、表情が、生き生きと表現されています。
金沢出身の画家、鴨居玲は没後30年を記念した展覧会では、
油彩の代表作をはじめ、素描、絵具やパレット、リーゼルなどなど
遺品が約100点あまりを展示されていました~。
東京駅構内に設けられているギャラリーは外からは想像を絶するような
壁面がオール煉瓦で趣のある空間が広がっていました
作品以上に興味を引いたのが壁に使われている、駅舎に使われていた煉瓦だったのです。
所々欠けていたり、目印なのか文字が書き込まれていたり、空襲で焼け炭化した木煉瓦があった
歴史が感じられ、他にはない特徴のあるギャラリーでした。
お仲間との優雅過ぎる時間はあっという間に、また主婦に戻りました。

あまり、分かりづらいかもしれませんが、ズッキーニを使って
マッサで味付けしたパスタですが、丁度塩加減が良くて、美味しかったです

こちらは、私だけのんびり、ゆったり愉しんでは旦那様に申し訳ないので
東京駅のグランスタで、お気に入り、京都はやしやさんの、『抹茶ロール』&
テラスのミントでティータイムをいただきましたよー。
A&G(OB会)に出席した感想ですが~
共通点と言えば同じ企業で働いていたというだけで、人は安心して
気を許してこんなにも盛り上がるのかしらという位打ち解けたのが
不思議な感覚でしたー。次回は更に掘り下げて?くだけて?
角が取れた感じでしょうかねー(笑)
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
今日も子供たちが平和に過ごせますように

では、ごきげんよう
